私の使命という つぶやきです
私の個人的なつぶやきです
私の職業は行政書士です
何をする仕事なのかを知っている方々はそう多くおられません
実際に会ってお話をしたとしても、完全に理解はされないことでしょう
そんな職業ですが、仕事上の立場としては、私のような方々は多くおられます
ご相談などをお受けする方々に障害者福祉に携わる方々がおられます
個人的に、その方々とは同じ境遇を感じるというか、共感することが多くあります
全く違う職業で、仕事の内容も異なりますが、そうなんです
社会構造が生んだ "障害" という壁
障害者福祉の制度や携わる方々は、障害や難病などを持つ方々の生活支援を使命されています
今の社会においては、非常に重要な制度と人々で、今後も必要とされ続けるものです
その制度や人々のことを考えると、ひとつの疑問が出てきます
それは、"障害とは、何に・誰に対する、何が・誰が障害となのか" と
今の社会では、障がい者・障がい児などの用語が一般的に使われます
また、障害や難病などを持つ人としか捉えられていないのが現状でしょう
でも、それは人が作った社会構造が生み出した用語と概念だと私は考えます
今の社会は、色々な個性を持った人々全員が等しく生活できない構造になっています
なぜなら、次のような社会の流れがあるからでしょう
大多数の人たちは、概ね同じような個性(身体的・精神的な個性)を持った人たちです
その大多数が作り上げた社会構造ですから、同じ個性を持った人たちにフィットします
でも、社会構造にフィットできづらい個性を持った人たちが多くいます
また、自分らが社会構造に歩み寄ってフィットしようとする人たちも多くいます
更に、自分らの歩み寄りでも社会構造にフィットできない人たちも多くいます
大多数で構造化した社会では、そのような人たちのことを "障害などがある" と表現します
でも、歩み寄りでもフィットしない人たちにとっては、今の社会構造こそが障害なのです
障がい者などの "障害" が意味する本当のところは、社会構造が生んだ "壁" なんだろうと考えます
近代に入ってからは、障がい者などを支援する社会構造(障害者福祉)へと変化してきました
でも、初期のころは、隔離的な福祉であり、本人らの自立性に欠いていました
嫌な言い方ですが、"社会的弱者の救済" という名目だけが先行した福祉の姿でした
その後は、福祉に関する考え方や政策が変わり、障がい者などに対する支援のあり方も変化しました
今では、福祉制度を含めた社会構造の方が、障がい者などに歩み寄ってきています
それでも、まだまだ全てに・十分に対応できておらず、壁が壁のまま立ちはだかっています
そこで、福祉に携わる人たちの存在と活躍が求められるようになります
社会と障がい者などの間にある壁・障害を緩和・中和させる専門家に期待したわけです
そのような流れで、多くの障害福祉サービスを提供する事業が立ち上がってきました
今の社会構造 ⇔ 福祉の専門家 ⇔ 障がい者等
このような経緯と関係で今の障害者福祉が成り立っています
そして、福祉の専門家の立場が確立されています
社会構図という壁と人との間で活躍する立場
さて、冒頭の話の続きです
私の職業である行政書士ですが、立場的に同じような関係にあります
今の社会構造で人々が生活するためには、国や自治体の法令や政策などに歩み寄る必要があります
例えば、車を運転したければ、運転免許を取るというような具合にです
でも、あまりにも専門的で迷ったり、手続きが難解・煩雑で困るような場合はどうでしょう
ひとつの解決手段は、社会構造という壁と自分との間に専門家を入れることです
運転免許を取りたければ、自動車学校という専門家を頼りにします
今の社会構造では、行政に対する手続は、難解で手間のかかる "壁・障害" になっています
国や自治体の法令や政策などが、どんどん専門化しているからです
そこで、この壁・障害を緩和・中和してくれる存在が必要とされます
それが、行政書士というわけです
今の社会構図 ⇔ 行政手続の専門家 ⇔ 先に進みたい方々
この関係、行政手続きの専門家は、先ほどの福祉の専門家と同じ立場いることになります
社会構図という壁と人々との間に入り、両者のために活躍するという同じ立場にいます
私の個人的なつぶやきです
私の職業は行政書士です
私は、福祉に携わる方々に同じ境遇・共感を感じ、同胞のような感覚を持っています
そして、行政手続の専門家として、福祉の専門家をサポートすることが私の使命です